「遺言って聞くと、なんか気が重くなるんだ!」...先日立ち寄った居酒屋で、聞こえてきた会話です。

日頃から、遺言や相続手続きにかかわりを持っているせいか、”遺言”、”相続”、”成年後見”とかいう言葉については、自然とダンボの耳ではありませんが、聞く気が無くても、聞こえてしまいます。

ご相談でも、同じようなお話が出ますので、そんな時は、「生命保険と同じですよ」ってお答えする場合が多いと思います。

...でも、生命保険に入るときに、気が重くなるでしょうか?

少なくとも、私自身は、”気が重くなる”よりは、”安心感”の方が多いです。

だって、確かに生命保険は死亡保険金の支払が主目的ではありますが、病気になったってお金が出るし、何にも使わなかったら満期の時の返戻金だってあるかも知れません。

一方、遺言書ってのは、遺言という仕組みのみで考えた場合、100%自分の死亡を前提としていて、遺言者が死亡しない限りは効力が発生しません。

それに、いくら理屈をこねて「生命保険と同じようなものです」って言ったって、遺言=遺書=死亡ってのが一般的なイメージです。

だからこそ、だからこそ、遺言書作成の瞬間は、日常的な時間の流れから離れた、特別な瞬間であり、特別な経験ともなります。

実際、遺言公正証書作成のとき...その場で立ち会っている私に、人生の大きな山を登り切ったような達成感を感じさせた方、

ある方は涙を流され、ある方は厳しい雰囲気から、本当に穏やかな優しい雰囲気に変わられた方....

もちろん、効力のある遺言書作成に必要な様々な事柄を満たした上でのことですが、何十人もの方の遺言書作成をサポートした私の遺言に対するイメージは...

”神聖なこと”...です。